斎藤幸平君は人新世の「資本論」において気候変動、コロナ禍、文明崩壊の危機、唯一の解決策は脱成長コミュニズムだ。「資本主義に終止符を打って『ラディカルな潤沢さ』を復活させよう」その先に待っているのが、「自由」であるといわれている。その自由は物理的欲求が求めるそれではなく、集団的で文化的な活動の中での自己実現のそれであると豪語している。
人間における自己実現は他者の肯定つまり、自己制御を内包している。その上で斎藤幸平君は各論として自由を求めて、使用価値経済への転換、労働時間の短縮、画一的な分業の廃止、生産過程の民主化、そしてエッセンシャル・ワークの重視と並列しているが、それらは科学的でなく意見というより一市民としての主観的希望を述べているとしか思えない。
マルクスの資本論は当時の歴史をふりかえり対比して今の世の理解を深めるのに、使われることに重点を置くべきであり、自己の意見正当化に使われ、据えるのはいかがなものであろうか?
さてここで日本経済新聞の令和6年9月7日の日刊の一面記事「経済安保のリアル国富を考える」を読んでみよう。
①日本は敗戦後、海外旅行や貿易を制限され、自立した国として扱われていなかった。1964年4月、国際社会が一人前と認める「IMF8条国」に移行し「先進国」に仲間入りしたばかりだった。
②池田勇人首相は貿易で豊かな国をめざす姿勢を訴え高度経済成長のまっただ中にあった日本は同年10月に東京五輪を開き、68年には米国に次ぐ世界2位の経済大国に浮上した。
③先進国として「還暦」を数える日本は今、「失われた30年」の停滞を脱せずにいる。自由貿易が国の豊かさをもたらすというモデルも曲がり角を迎えた。
そして、
④米中の貿易戦争は「戦場」を関税から次世代半導体など先端技術の覇権争いへ移し、周囲を巻き込みながら激しさを増しているのに、
⑤制裁関税など対抗手段を持つ米欧と対照的に日本は丸腰だ。と批判されている。その上で、
⑥経団連が6月、環太平洋経済連携協定(TPP)の枠組みを活用するよう提案したことを提示してそれを肯定している。その
⑦資源に乏しく国土も狭い日本が豊かさを守っていくには貿易がやはり生命線だということらしい。
これは科学的な分析もなしの単なる個人的な意見であって何らの政策も語れていないのである。寂しい!
その記事を見て我々はどう考え行動すべきであろうか?その問題についてこそ、一つのテーマとして、総裁選立候補者がテレビ討論なり、意見発表をただちに行ってもらいたい。そうでなくしては、選挙権行使が不可能である。
貿易はあくまでも商売であり、お互いを尊重しなくして成り立たない。「売ってのしあわせ買っての幸福」であり、経済封鎖で戦争防止をできるものではない。お互いの立場の尊重こそ戦争防止の唯一の手段である。
令和6年9月26日 廣 田 稔