新たなる日本ひいては地球の船出の指針を探るには五代友厚の検証が必要である。
それには、司馬遼太郎が描いた坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、島津久光との対比も必要であるが、当時彼らが国造りの模範としたフランス革命、ナポレオン、プロイセン、フランスの憲法等国の制度の成り立ちまで研究しなくては不十分である。
そこには近代学問的価値が眠っている。しかし、それにも限界があることを知らなければならないが…。
その扉を開くことなしに五代友厚の検証はできない。
1885 年(明治18 年)9 月25 日友厚は49 歳の生涯を閉じた。
多くの事業を手掛けながら自らは蓄財することなく、当時百万円の負債を残しての死であった。
それを妻豊子は返済した。
友厚の業績は豊子の内助の功によることが大である。
豊子の生き方、育ち方を検証する中で、今の日本教育のあるべき姿を観ることができるはずである。
五代豊子
奈良県天川村天和銅山全景(明治初期)
安養寺(奈良県田原本)
五代は自らに何を求めたのか?
五代のやり残したことは何であろうか?
我々も何かできることは?
進むべき道はその進み方、探求の仕方を共に感じるには映画の手助けが必要であろう。聖書が人に生きる道を物語や文脈で説くように。
フレキシブルな知性を死ぬまで磨かなければ、これまで育まれた日本の伝統、相対的な価値観を続けることはできない。美しさと感動とは、知性を磨き続けるプロセスの中で生じるものである。