薩摩藩士。幼少の頃より世界を見つめ、開国派として活躍。二度に亘る海外への渡航で 国際感覚を身につけ、維新後は大阪で実業家に転身、維新で傷ついた大阪を立ち直らせる。「大阪の恩人」とまで言われるように。
奈良・田原本町出身。儒学者の娘。 維新後、五代は豊子とすぐに結婚、大阪時代を支えた。 五代の死後、借金返済に苦しめられる。
土佐藩を脱藩。 長崎で五代と出会い、海外貿易などの夢を語り合う竹馬の友となる。 五代の力を借り、薩長連合を進める。
竜馬と同じく土佐藩士で竜馬の後を追って、海運会社土佐商会を設立、龍馬の死後、維新後も海運会社や様々な企業を起こし、後の三菱財閥の礎を築く。 五代との交流を深めたが、お金に関する考え方で衝突する。
長州藩士。明治の宰相。 五代とは長崎時代に知り合い、坂本、岩崎らと遊び仲間。
薩摩藩士。 武勲派で知られ、攘夷派で倒幕に突き進み、終に江戸の無血開城に成功。 その後故郷の薩摩に帰り、廃藩になりあぶれた不平武士らに担がれ新政府に反旗を翻し戦を起こし敗北、切腹。 ラストサムライと言われた薩摩の英雄と言われている。 文勲派の五代とは対立することもあったが、お互いに立場を認め合う仲だったとされる。
幕府の海軍奉行など勤め、長崎の幕府海軍伝習所で留学生の五代の教官をつとめる。 又、江戸城無血開城で西郷と相対した。
第28代薩摩藩主。 五代の素質は幼少のころから認め、長崎留学や上海での蒸気船買い付けなど命じた。
五代の良き理解者で、薩英戦争で捕虜になった五代が敵の英国軍から簡単に釈放されたことから、英国のスパイと疑われ、やむなく東海道各地に潜伏していたのを潔白として帰藩させ、五代の献策で英国への留学生派遣団の副使として五大を派遣した。 五代にとっては大きな転機となった。 久光についての検証は、今度やり直す必要が大である。