① フェイクニュースを見分けることが出来る人は、数少ない。世の中を単純化して理解しようとする人、自分は頭が良いと思い込んでいる人は全く出来ないというか逆の発語をしてフェイクを基礎付けすらやってしまう。
米西戦争の「メイン号事件」の真相、後のベトナム戦争のきっかけとなったトンキン湾事件の真相を理解しようとしない人は歴史を学んだとは言えないし、フェイクを全く見抜けない。
そして戦争ほど新聞社、マスコミに利益をもたらすものはないということも頭に入れて、マスコミ報道も読む必要がある。
② アメリカの美的文化は白人の美の標準を中心に打ち立てられているため、黄色で平たい鼻で171㎝しかない私は、美男子とは遠く離れているというコンプレックスで育ち、それが私の意識の深層に根付いていた。
今はこの歳になって、それを少し乗り越えられたように思う。それは遅くなったが、少し歴史を学んだことによるように思う。
それこそ、たいていの社会政治的ヒエラルキーは論理的基盤や生物学的規範を欠いており、偶然の出来事や神話で支えて永続させたものにほかならないことを学んだからである。
③ 現代の世界は、自由と平等との折り合いをつけられずにいる。しかしそれは欠陥ではない。この矛盾こそ、人間文化の原動力である。
思考や概念や価値観の不協和音が起こると、私達は考え、再評価し、批判することを余儀なくされる。しかし、それこそ人間の心の必須のあり方である。
矛盾する信念や価値観を持てない人はフェイクニュースを見破ることも出来ず、人類の文化を打ち立てて維持することも出来ない。歴史を学ぶに際しては、一面的な意見や信念を覚えるのではなく、矛盾する信念を対比させて熟慮するという習性をつける必要があるのである。
令和6年5月25日 廣 田 稔