多くの偽情報がSNSで拡散している。EUは旧フェイスブックのマーク・ザッカ―バーク氏に早急な対応を要請したという。しかし、それは人任せで解決とはならない。むしろSNSの内容で勝負すべきである。
まず、正義・不正義の不確実性、真実であるのか偽りであるかは、あくまでも、相対的なものであるかと覚知する必要があるそして次に悩む大人の姿、生活を送る物語、小説、映画を量産して、それを観る生活を送ることが大切である。そしてその物語の主人格となって別の人生を観察する中で我々自らがSNSの真偽を判断する能力をつける事でしかこの件の解決はないと思う。
mixiの笠原健治氏が利用者とともに喜び怒る、人をやさしい気持ちにする製品RomiのAIロボットを作ると言う。彼もその努力をしているはずだ。
旧ツイッターのイーロン・マスク氏の動きも注視してみよう。
それより、我々一人一人が「私は思惟する。ゆえに私は存在する。」という言葉を吐く時の自分がいかに過去の私の脳裏に一度も去来したことのない思念や「過去の私」が一度も味わったことのない感覚を今私が経験していることと取り違え軽視しているかを理解する必要がある。その上、あらためて我々は各人自己同一性の不確かさを確信すべきである。そうしたらフェイクを見破れる可能性が出てくる筈である。
フッサールの「デカルト的省察」を読んでみよう。
その態度は学問的態度であるし、聖書の教えでもあるという。
令和5年10月末日 廣田 稔