兵法極意の伝授と云われる張良の教えは、まず関係性の発見、ジャクラ間の「子供の問い」を発することから始まる。映画を見ると木川洋子さんの言葉一つ一つに人生の豊かさを感じることが出来る。
映画は人生の豊かさの追求の方向へと一気に進んでいる。一見するとランダムに見える事象の背後に見えない「人生の豊かさ」が存在することを話され直感できる。その時、我々は涙する。
その涙が生じる理由は何故か?と自分で問うてみよう。それが科学的知性の出発点であると思われる。それこそ宗教性の発動契機である。
宗教性というのはランダムに見える現象の背後に「摂理」や「神意」が貫徹していると直感することである。
木川監督が洋子さんに色々と聴いているが、木川監督は全ての答えを予想できていること、それ以上に木川監督自身が話をしているように聴こえてくる。
木川監督に聴くと「この映画に筋書きはありません。私は洋子さんに本当に聴きたいことを聴いただけです。答えを要求したことは全くありません!」と言う。しかし途中から洋子さんの言葉のほとんどは木川監督のシナリオとなっていることに気づかされる。2人の言葉というか感性の同一性を気づくことこそ良質の知性であろうと思う。それを気付くこと「知についての知」のプロセスであり、自己なり知性を求める努力をいつもしていれば良質の知性、つまり本当の学びを続けていれば身につけることが出来て、他者からは勿論、自己肯定となる自己再生することが出来るにちがいない。
今一度、同映画をみて我々の知性の成り立ち方を討論してみよう。
令和5年5月1日
廣 田 稔