知性とは物事を知っているとか学歴があるとかITを使いこなせるとかとは、すべて関係ないところで生じるものである。
それは「自分のバカさ加減」について、どれくらいリアルでフールな自己評価ができるかを基準にして、判定されるものである。
様々な社会的不合理を改め、世の中を少しでも住み良くしてくれるのは、「自分は間違っているかも知れない」と考えることのできる知性であって「私は正しい」ことと論破できる知性ではない。
その知性の覚知をした上で人間は何のために生きるのかという疑問を常に携帯している限り、いくら戦場であっても、敵、殺そうとしている相手の顔を見れば「汝殺すなかれ」という戒律の言葉(神の言葉)を自己の中で発見しうることになるはずである。それが人間の心の動きである。神は人間に内存していると言われる所似である。
その呼び起こしこそが戦争、暴力を効果的に制卸しうるものである。
「汝殺すなかれ」という人間のためらいこそ、今後の行動の指針とすべきである。
武器の発展により敵を見ることなく、安易に人を殺すことが出来るようになった。プーチン・キム・トランプも殺そうとする人の顔を見れていない。見ようと努力しないで、ボタンを押すだけであることから、その神の言葉を知る機会もないのである。
革命の成功のため、自分だけは存在することの正当性を一瞬たりとも疑うことなく、「自分の外部にある悪(自由主義、民主主義)」と戦うということで正義を求めると断言しているのである。我々は生きているだけで、すでに他者に害している可能性を学問して覚知しない限り、自分の思考が正義であると断言してしまうことが多い。そして倫理観を喪失しているのである。
令和4年11月20日 廣田 稔