現代人は情感が乏しいと言われる。それは、情感を表す語彙が乏しくなったからである。
言葉が現実の人の感性を作り出すのであって、その逆はおよそ存在していない。学問が人間成長のために必須であるとの理由である。
私の「繰り言」では難しい漢字や外来語を使っている。人から難しい、わかりやすく書いてほしいと文句を言われることが多い。
しかし、人生は極めて複雑で難解であり決して「simple is best」ではない。
マスコミからも読者が読めない語彙を使わないで下さいと言われる。マスコミは多数の客を確保しなければ採算が取れないので、最低のリテラシーを持つ水準に合せて使用言語を絶えず下方修正している。
日本から今に美しい言葉、意味の深みを含んだ言葉、人と魅了する言葉。人の感情を創出させる言葉がなくなってしまう。
マスコミは大衆の今のレベルに合わせて、興奮する素材を中心に提供していく結果、今の
ポピュリズムなり悪しきナショナリズムを助長している。強いアメリカと称して、何らかの共同体にしがみつき「バスに乗り遅れまい」と騒いでいるだけで共同体に帰属することで発生する個人的責務や不自由についてはそれと引き受ける気を全くもっていない。
子供だけになってしまい、大人も大人化出来ない。語彙の貧困から抜け出さないと、人間の未来の未知性に対抗しえる知恵を人類は獲得しえない。
これまでも未来の未知性に対抗しえる知恵という言葉を何回か使ったが、それは未来のことが想定内でありますと言って予測することではない。逆である。
時間の本来的未知性を大切にして未知性のうちに謙抑的に生きることである。
謙抑性こそが平和を保つ唯一の武器である。
令和4年11月12日 廣 田 稔