日本人は独自の価格感を持ち独自に行動することが不得手であり、一斉に同じ方向に行ってしまう傾向がある。日比谷事件なり第二次世界大戦突入話を思い出しても恐ろしい。農業国家の国民の宿命あると言えば言えないこともないが、多神教者の欠点の1つである。ニーチェが大衆を愚鈍と呼んだ如くである。勿論私は農業国家を否定するものではない。むしろ日本の民主主義は農村における合意形成モデルを基礎にしてしか成り立たないと思っている。
多神教、神仏習合はいいかげんと批判されることもあるが他人や他者をも肯定する態度を取りやすく相対的な価値判断といいうるし、まさに好い加減である。
そういう私もロシアとウクライナの戦争を知り、彼らの生命の危機を思いやるより先に「ああ、私は日本の中で生きている自分は幸福だ」と思ってしまう。そして何もしない。人の不幸を見てみぬふりしてしまう。ロシアからのガス供給等止まりガソリン代等が上がったり、物価が上がったらブーブー文句を言うかもしれない。電気代が今冬は異常に上がるというホテル業界が悲鳴をあげている。
脱炭素化が出来ず大型台風、大雨、スペイン・米国での大火事で地球が悲鳴をあげているのに他人事である。
今回のウクライナの危機をてこに脱炭素と経済成長を両立した北欧スウェーデンの例に学ぶ必要があると思われる。再生可能エネルギーを創出し、それが完成する迄には原発もやむを得ないところであろう。原発再開する時はフィンランドのマリン首相が「原子力は短期の対応策であり再生エネルギーや水素が普及するまでの『つなぎ』と位置づける」という言葉を指針として国策を決定する必要がある。その国策実施していくために我々国民はもっと我慢するところは我慢して協力していく必要があり、それが民主国家で生きていきたいと思う人の基本的な義務である。
正義実現は国民一人一人の人間としての義務の履行にかかっている。
令和4年10月20日
廣 田 稔