多くの人は時間の未知性の本質的な豊穣性を見落としている。豊穣性を理解すれば、自裁など考えようがないはずである。
この世に運命の糸で結ばれた恋人は存在していない。
共感的理解を既に供えている他人は皆無であるし、全身的な共感等も創り上げることは不可能である。親族間でも同じである。しかし、人間は英知を持つと嫌な隣人とも共生できる。いずれにしても出会いはただの偶然である。
自分の手で未来を切り開けるということはない。努力したら必ず報われるものでもない。
しかし、私達は無数の「願望」を潜在的に抱いておりそのそれぞれについて「願望が実現した場合の細部」について想像をめぐらせて、そのための準備を今すぐに始めることが出来る。
我々の願望達成の可能性は、自分の未来についての開放度の関数である。
未来の未知性に敬意を抱くものはいずれ「宿命」に出会う。
未来を既知の図面に従わせようとせず、未来の未知性に敬意を抱くことこそ真に自由に生きることである。
(ほぼ、内田樹先生の文春文庫「こんな日本でよかったね」の請売りです)
令和4年4月23日
廣 田 稔