経済なり経営判断並びに金融政策、経済政策は色々な経済資料(その影響も含めての)統計的、量的判断が基礎になる。よってそれらの方針を決めるに、AIに任せていいように思われる(勿論、最終的な判断は本来は人間の決定であるべきであると言われるが、その判断も含めて)。
しかし、教育までAIに任せると、学生はこれまで培ってきた記憶力や集中力の低下を引き起こす。AIは、人間を楽にする方に追いやり、考える作業を止めさせかねない。
一流棋士はAIと対戦して、その技術に気付き、棋士のレベル向上を助けたと言われる。
しかし、我々は一流棋士になる努力はしていないし、その能力があるわけでもない。
技術と人類は競争の連続だ。
計算機は暗算力を衰えさせたが、物理や化学の水準は上がったと言われている。
AIとの共存のための知恵が欠かせない時代である。その知恵を確保するには学問、それも身体的な方法での努力が必要である。例えば、儒家が論語を素読して頭に叩き込んだように。
そのことを努力しないでAIに頼っているようでは、人間全部の生活がAIに取って代わられ、人間は無用の存在になる。AIが悪魔となって人間を支配することになる。
AIで知識はあるようなふりは出来るが、知恵獲得にはなりえない。
AIに負けるな!共存せよ!
令和4年2月9日 廣 田 稔