家族という繫がりを喪失し、社会に散らばったよるべない個人をいかに結びつけ支えあうか。孤独という人口減少時代の病を皆で克服しなければ社会は基盤から揺らぐことになる。
同窓会、町内会、消防団がその結びつけを担うと奮闘している。
しかしそれらを支えるのは教養教育である。教養のない専門家は使い物にならないと言われる。日本の教育史上最も成功した教養教育は旧制高校ではないかと思われる。そこでは若者たちが起居を共にし、文字通り「同じ釜の飯を食う」生活をし、そこで彼らは集団内部での自分の立ち位置を学んだ。
ところで私の高校時代というと、およそつまらない人間であった。
父は大正5年生まれで憲兵として陸軍で生きて昭和45年9月7日人吉市で大型車にひかれて死んでいった。その時、私は23歳の青二才であった。父の恩に報いる事は全くしないままで父を失った。恩返しどころか父が日本国のためにと言われて命を賭して従軍したことを平気で戦争はいけない事だと批判したこともある。父の事というより父に対する生意気な私の態度を今でも夢みて慙愧に堪えることができない。
父ちゃん堪忍!母ちゃん許して!と夢みて涙することがある。
父母に恩返しできなかったから恩送りと思って「北辰斜にさすところ」と五代友厚の「天外者」の映画を皆と共に作った。多くの人へ伝えたいことが一杯あり、その内容の一部をブログに書いてきた。
しかし伝承することは難しい。ラジオの電波でも伝え続けているが難しく虚しさが一杯である。
私自身、自由平等など基本的人権を得るために努力したこともない。民主国家についても日本国憲法から付与されただけである。その恩恵の中で唯ぬくぬくと育って来ただけのことである。そうであるのに日本を守ると信じて戦争を行った先人を平気で批判していたのである。ドイツがホロコーストを反省した様に私は反省できていない。大戦の責任を軍部に押し付けて他人事にしている。自分が恥しい。死ぬまで学び直す必要があるのはこの私である。
それら、「北辰斜にさすところ」と「天外者」と五代友厚を演じた三浦春馬の涙を観て、高校生諸君が自分の立ち位置を学び、人類のために共生の道を歩く方途を探す道へ飛び出し悩み生き抜く力を持たれんことを切望している。そして人間の尊厳や人間性の美しさを発見した上で人間は生まれた時から「人間である」のではなく、ある社会的規範を受け容れることで「人間になる」というレヴィ=ストロースの言葉を味わいかみしめてもらいたい。
令和3年12月14日 廣田 稔