2016年、イギリスがEUを離脱するべきかどうかを決める時に、キャメロン首相は専門家にも議員にも尋ねず、国民投票に任せ、国民に「どう感じますか?」と問うた。
国民投票や選挙は、人間の合理性にまつわるものでなく、常に感情によって決められる。
人間の感情は謎めいた「自由意思」を反映していて、その「自由意思」が権限の究極の源泉であり、言ってみれば知能の高さは千差万別でもあらゆる人間は等しく自由であるという前提に民主主義は立っている。(ユヴァル・ノア・ハラリの21Lessonsの71頁から)
元々、民主制という言葉は、ナポレオンが民兵を集める時、資本主義発展過程の工場が労働者を広く集める時に出来したものである。
ハラリは、民主主義について歴史からみた本質を素直に述べて、そして「民主主義と言えばそれだけで何か解決するものではない。我々はそれを大切と思うならば努力しなければならない。」との警告をしているのである。
我々は、「自由意思」に基づいて選挙権を行使している。そして実は国政を我々が選んで議員に国、国民のために各仕事をやってもらうのである。国家の予算執行という形で給与を支払って、良い仕事をしてもらおうと期待しているのである。それなのに、自分たちが意味のない給付金、支援金をばら撒かれて喜んでいるようでは本末転倒である。今回の総選挙での各党の選挙公約には現金を国民に配る給付金など「分配政策」が並んでいる。
我々は目先のばら撒きに浮かれるのではなく、むしろ「国や皆が良くなるためには我慢するから、良い政治をやってほしい」と声を上げるべきである。
政治家から金を貰うのではなく、「心を込めて精一杯人民のために働いてほしい。そしてむしろ地球のために働く場の提供や、学問を受ける機会を平等に付与してもらいたい。後は自分たちもそれなりに頑張るから…。」と求めるべきである。
国民に金が回らないと消費が拡大せず、景気が悪くなるとの反論が考えられるが、それこそ前回レポートした「前進と上昇」の進歩を例えとした旧来経済学の意見である。
私たち選挙人を子ども扱いしないでもらいたい。
今一度、大きな声で「無意味なばら撒き行政で、我々選挙人の機嫌取りはしないで本当の政治を履行されたい」と叫んでみよう。
令和3年10月22日 廣田 稔