コロナ禍は、我々人類の命と暮らしの両面で、弱者により厳しい試練を課し、強者との格差を広げた。そんな弱者を救済する金融緩和と財政出動が、株式相場や不動産価格などを押し上げ、むしろ強者を潤した。
消費者物価上昇率は、我々の賃金上昇率を上回っているか?自分たちでも調べてみようではないか!
そうであるなら、景気が回復しても国民の懐は圧迫されるだけではないだろうか?
それなら量的緩和の縮小、これまでの金融政策を見直す必要がある。そして皆で公平なる納税制度についても改革する時期に来ているのであろう。
五代友厚だったら、そう提言している筈である。
大阪では、100個所の病院がコロナ禍に対応し奮闘されていると聞く。我々は令和3年3月から、球磨郡山江村で神から授与されたミネラルウォーター(ありがとうの水)を、三浦春馬くんのファンの方々と共に同病院の内30個所に送って飲んでもらっている。少しでもお手伝いが出来ればという気持ちだけである。我々は、生きながらえて人助けのお手伝いが出来るというだけでありがたい。
コロナ禍を体験して、人類は集団の英知の大切さを覚知し、その持続と補充のために共に頑張れる日々を送ること、そのことこそが、人間にとって生きた時間を送ることを意味する筈である。生きた時間を生きるという覚知をすることなくしては、この世に長く留まる理由があまり無い。
即物的の人生を送っても楽しくはないし、第一、自己肯定が出来なくなる。
今なんとかこの世に押し留まり、頑張ってみよう。
令和3年7月28日 廣田 稔