五代さんが久光に出した1864年5月の上申書では
「西欧列強の経済力と軍事力の源泉が、近代工業の生産力と技術力にある。すなわち、富国強兵は地球上の道理である。」
と言っている。
道理とは、物事のそうあるべき筋道とか人の行うべき正しい道を意味するので、正しくない。あくまでも、当時の行動力学的分析論の延長であって、「道理」という言葉は使うべきではなかったのである。
ここで19世紀初頭のイギリスを代表する風刺画家ジェームズ・ギルレイの作品を観られたい。
プディングに見立てられた地球儀を前にして、イギリスの首相ピット(左)が大西洋地域を、ナポレオン(右)が欧州大陸を切り取っている。
ピット、ナポレオンに替えて、当時の七カ国が地球儀を前にナイフを入れようとしている姿を想像されたい。
今回の天外者の映画で、五代の葬式に来てくれた伊藤博文は、刀を持参し、日清戦争(1894年)を担当し、1905年安重根に暗殺されている。
その後、1904年日露戦争、第二次世界大戦と日本は突入した。富国強兵、資本主義の利益追及が道理であると評することの誤りは、歴史的に立証されている。
更に、下士が人を切りまくった結果生じた明治維新を過大評価することも慎む必要も大である。
五代さんは、それらの事を若人に理解して欲しいと思って、長州、幕府の英米への留学と異なり、16名の学生をロンドン大学に学ばせた。そして、イギリスから機械導入に際して7名の先生も招聘したのである。
当時の社会経済体制の構造、資本主義の成り立ちをマルクス、ルソーらの学説にも触れて学んでこいと言われたのだと思う。
我々老人も、五代さんが当時学んだあるいは学ぼうとした人間の集合的英知を、死ぬまで若人とともに学び抜いて生きていく必要がある。そうして政府や企業がSDGsの行動指針をいくらかなぞったところで、気候変動は止められないことも理解した上で、更により良い集合的英知を創造し、かつ行動していく必要が大である。
令和3年6月13日
廣田 稔