五代は1835年12月26日上級藩士父秀堯、母やすこの次男として生まれた。上士の出である。渋沢は1840年に豪農の家に生まれた。
渋沢も五代も当時の世界列強国の力の源が資本主義のシステムにあることを知る。江戸末期の有識者はそのことは見抜いていた。
渋沢は自分の知識として説きながら豪商から武士になり大蔵省に入り1873年商人となっていく、五代はそのことを自分の知識としてではなく若者が学び体得しないと知恵とはならないと考え1865年英国に15名の若者を留学させた。そしてロンドン大学で学ばせた。
幕府の米国留学長州の英国留学との大きな違いである。五代は自分が日本資本主義を進めるというより若者が自らの力で活動するべきであると思いその手助けを心掛けた。
それにはわかものたちには哲学的思弁を重ねたうえでヘーゲルのいう理性と真理を一生かかって自己の中に探し求める姿勢が必要であると伝えたのである。
三浦春馬はこの度、これまでその理性と真理を求めることなく唯生き急いできたことを振り返り悩んだ。
五代は英国でマルクスとエンゲルスとで出会っている。出会わないまでもマルクスの当時の歴史分析資料には接しているはずである。マルクスもエンゲルスも貴族の出である。革命というのは下士が上士に反抗して体制をひっくり返したり大衆が貴族なり王政を倒すことである。下士の西郷、大久保が徳川幕府を倒したように。五代は上士の出である。その彼が明治維新に取り組んだのである。
上士の五代の人生のプロセスは自己顕示欲求も人の知識を借用してのひけらかしもなくてとても清々しい。
マルクスは共産党宣言で「万国の労働者団結せよ!」と言っている。戦争せよ侵奪せよとは言っていない。ヘーゲルの理性と真理を自己の中で追い求めることなくしては知識を知恵に変容させることは出来ない。人は何を基準に自己を評価するのであろうか?好き嫌いの自己の感情、人にどう思われるかの他社の感情、財産の多寡、神、歴史あるいは理性か?
令和3年2月21日 廣田 稔