ヒットラーの出現を許しプレグジットとなりトランプの暴言等ポピュリズムの台頭を他人事と思って安穏としている自分を許していいのか?
五代友厚が感じたであろう恐怖と陶酔を彼自身の内側から生き、追体験する事を我々は目指した。五代の叫び泣き笑いを内側から生きるという歴史の学びを三浦春馬だけがやったような気がする。
三浦春馬はそこで自分は何者であるかを探せずいわばヘーゲルのいう「自己意識」を持てない事を知り、フリードリッヒ・ニーチェが叫び続けた「人間の思考が自由でない事、人間はほとんどの場合ある外材的な規範の奴隷に過ぎないこと」を覚知したのであろう。
人間社会での善悪の判断基準はなんであろうか?それはそれぞれの社会集団の歴史的条件に応じて変化するといわれるが、さきのポピュリズムはその善悪判断以前の自己の利害計算だけであるように思われ、知性が欠けている。
ホップス・ロック・ベンサムらは「私有財産の保全、個人の自己保全自己実現つまり自然権を尊重し利己主義が利他主義に至れることを希求した。しかし利他主義に至るには努力し必死に学ぶ必要がある。それは自己の人生の中での価値観の変様を振り返ることである程度は理解できる。
自分は74歳になっても未熟のままである。思想的に様々な知識にふれることができてもいざ行動するときには自分の損得勘定を考えている。これでは共生の社会実現へは向うはずがない。人間に内在するといわれている知性を生きている間に確知しないと三浦春馬にまた叱られる。
そうでないとニーチェに畜群と批判されてしまう。批判ならまだしも地球が崩壊してしまう。
令和2年11月14日
五代友厚映画製作委員会会長 廣田 稔