先日、コロナを人間が自らをホモ・サピエンス(賢い)、万物の霊長と勝手に自己評価して動植物を私物化したことへの動植物からの反撃ではないか、と書いた。人間が動植物の支配権と引き換えに、神々への永遠の献身を約束したことから多神教が始まった
今回の球磨人吉の水害は、どう受け止めたらいいのであろうか?
自然に寄り添い、自然の恵みを受けて、人間が生きていることを感謝する気持ちを忘れていたのではないだろうか?
口では自然との共存といいながら、果たして我々はそのために何か行動をしたであろうか?自分の金儲けだけを考えて生きてきたのでは無いだろうか?
今回、九日町の甘味処、上青井のカフェすいとぴぃは浸水したが、一級河川の横になる山江の水工場は助かった。
水神様をキチンと祭っていたからであろうか。毎月月参りを青井神社の福川宮司にしてもらっていたからであろうか。
いや、それだけではない。先人の農業土木の集団英知の培った賜物である。。
令和2年7月7日
廣田稔