私共日本人は西欧で民衆が勝ち取った国民国家と機械制工業から始まった資本主義をほぼそっくり借用して、1868年の明治維新迎えて、今年で152年です。
今や金をどうして稼ぐか、いかに経済成長を遂げるかということが悪いことに単なる行動基準だけではなく、我々の判断価値基準とまでなっています。そのため国家の成立要素である学ぶ(教育)、裁く(裁判)、癒す(医療)及び祈る(宗教)が日本では特に劣化しています。
そのことから今の日本では、人と人、国と国とのコミュニケーションが起動していません。デベイト対論はあっても対話がありません。それを再起動させるには人々が「単なる知識にとどまることなく、神の声を導く物語を理解し、その物語を共有すること」が必要です。
映画を創る目的(カウンセリングの世界で同一ですが)がそのような物語の共有です。
今回、五代友厚公についての史実を素材として、その上に新しく、神にも肯定してもらえるように人間の特に集合的英知を現代というスクリーンに投影させその物語を創り出すことに排戦してまいりました。そして、そのことによってあるいは、そのことを介して「我々は先人が残してくれた豊かな自然環境、文化の厚み、地域の連帯と相互扶助システムに感謝し、新たに人生を勇気をもって歩める姿(内田樹先生の言葉を拝借しました)」を示すなり、そのことで話し合う機会を持つことによって後人に伝承、共有したいと思います。それこそ我々の貞なる喜びであると確信しているものであります。
「我々は過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して『どのような意味を与えるか』によって自らの生を決定している」(アドラー)
令和2年1月3日 廣田 稔