大阪商法会議所で何故、五代友厚は怒号と批判を受けるのか?人間が人を批判する時の多くが自分の利害、経験則、これまでの生活上の習慣が乱されることを嫌がっている時である。今迄、両替商で、藩の武士として、生活できていたのにそれを乱されると生命をかけて文句を言う。自己の利害を超えて、あるべき姿を求めて、公のために行動する人は少ない。しかし現代では世の政策をベンサムの原理「最大多数の最大幸福」というロジックを使い多数決で決めるという。それでは正しい政策を人間は下すことは不可能である。
その怒号に対して映画では五代は「おれを信じろ おれについて来い。」と答える。あくまで個人的感情レベルでの発言である。しかし、その裏には久光宛の上申書にある論理的思考プロセスが基本にあることを、五代の目から、迫力から読み取ってもらいたい。
資本主義の時代では経済資源で何より大切なのは未来への信頼であると五代は叫んでいるのである。そのことを五代はオランダの先生達からすでに学んでいる。オランダは仏英米より先に1568年に国民国家として成立している。16世紀にグローバルは巨大帝国であったカトリック教徒であるスペイン人の君主に主にプロテスタントであるオランダ人は反乱を起こし、80年のうちに海洋路の覇者となった。オランダの勝利はヨーロッパ金融制度の信頼を勝ち取ったからである。その信頼はオランダが借りた金は返したし、国で法の支配と私有財産を擁護したからである。
ヨーロッパは株・証券取引所の資金の働きで成長していく。オランダ東インド会社、 オランダ西インド会社であるが1664年英国がそれを奪取した。(ウォール街の発祥)
オランダのその後を争ったのはフランスとイギリスである。フランスが国土も広く、豊かで人口も多かったのにイギリスが金融界の信頼を勝ち取ったのでイギリスが勝った。フランスのミシシッピバブルで、フランスのルイ15世の国と中央銀行は信用を失くし海外のフランス領はイギリスの手に落ちた。イギリス東インド会社、ロンドン証券取引所の登場である。その金融制度の破綻が基になって1789年のフランス革命が起こり、ルイ16世は失墜したのである。フランス革命における人民の働きの基には大きな経済の動きがあることを忘れてはならない。
ナポレオンはイギリスを物笑いの種にして、商店主たちの国と呼んだ。だがその商店主たちがナポレオンその人を打ち負かし、彼らの帝国は空前の規模となったのである。
平和時もそうであるが、改革時には尚一層物事の真価、人物の評価はかなり難しい。歴史の相対性、自己の認識能力の未熟さを確知する努力も一生続けることが肝心である。
令和元年12月30日 廣田 稔