まずは、五代さんが1870.1月再婚した菅野豊子さんの写真をお届けします。
豊子さんは器量の良さを驕ることなく、五代さんの長女武子、次女愛子 三女芳子 四女久子 秀夫 友太郎を自分の子供として育てられました。1885年9月25日 午後1時、満50歳9カ月で五代さんが逝去するまで貞淑温良に五代に仕えられました。 (その間に五代と往復する書簡は辰野ひらのまちギャラリーにて見ることが出来ます。)
先日、3月30日田原本町長森章浩氏と奈良新聞の肝入りで奈良春日野国際フォーラムに於いて、
「明治の強き女性フォーラム 五代豊子にみる主婦道と首府道」
をテーマにトークセッションを実行しました。我々パネラーの方が参加された主婦の方々からの熱気と情熱で励まされ、生きる勇気を授かることができました。何より参加者の皆さんの会議に参加する姿勢、聴く態度の中に誠実で優しい心を持っておられる日本人の姿を感じることが出来ました。その姿こそが明治維新の本当の原動力と言われています。
受容でなく積極的な受容と言われるものです。
人間の世界は、神が生きる場所の一部を控えて空間を与えてくれたから出来たものと言われます。又、キリストが女ではなく男であること、アダムと妻イブとの関係、禁断の実が知恵の実であることなどから推して、主婦道こそ神から賜わった仕事であると思われます。
仕事と言えば、対価の金がついてくると考えられるのでタスクと呼ぶべきでしょう。そのタスクを実感して、それを生きる喜びに替えて日々を送ることが、凛とした生き方と言われるものであります。
とにかく、3月30日の会合は楽しい時間を皆様からいただきました。ありがとうございました。
これからも五代さんの人生検証を皆様と共に進め、お互い、自己の経験則の縛りから自由になりお互いの真なる知性発見の旅に出かけられることを切望します。
H31.4・5
日米弁連会館15階にて
廣田稔