明けましておめでとうございます
五代友厚の経験を踏まえた具体的な事象を五代の内面にまで立ち入って物語を作ろうという時、人は自己の経験則の範疇を出ることは非常に難しい、その為すぐに抽象的で道徳的な教訓話をもってその物語を飾ろうとする。
だから天命から、死者からも肯定される感動が出てこない。脚本6回目の書き直しに脚本家と監督が8月のクランクインに向けて奮闘している。我々五代プロジェクトのメンバーも自分の中にアイデンティティが無いことを確知して存在しない存在との会話が出来るよう頑張ることが求められる。いざ出発!
人間が自己の経験則から自由になるためにはまずは、外界に自然があるように自分の身体の内側にも自然(血液のヘモグロビン等はもはや自分の身体とは認識できない)があることを知る必要がある次には人間が外界との関りを自己の身体でなく金とか英語力とか欲望とかを介してしか取れてないこと、そして実際に「この世」の意味構造を理解していないことを知る必要がある。
だからこの世でないところ並びに今存在していない人から常に学ぶ必要があるのである。
聖書、論語、経典等々
廣田 稔人吉 国宝青井阿蘇神社にて。
日本に近代的な国民国家が成立してわずかに150年しか経っていない。
人権宣言から人間生まれながらに平等であり自由であることの引用文を聞いて、それらがあるべき姿を述べているだけであるのに人間に所与のものとして備わっているある姿であると誤解している人が多すぎる。それでは新しい151年以降の指針は描くことは不可能である。
その誤解はどこから生じているのか?現代の我々が、パソコンが持たらす情報の知々の範疇から出しておらず「存在しないもの」からの英知を学ぶこととしていないからである。自分が判断するといっても自己の中に学術的英知を全く持たず、自己判断できないのでNETで検索するだけで後はどちらかといえば好き嫌いの感情で決めている。
政治の世界での党派の離合集散も日本の政治家は好き嫌いで決めている。
経済ですら消費その基点にある欲望によって決められている。
本来、人間の感情自己隣憫、自己規律の弱さというものは非人間的のものであるため、「存在しないもの」からの英知を学ぶ努力が必要である。
今こそ国民国家も相対的で一時的なものであることを覚知し直していかにそれを守るかを真剣に討議すべきことも五代友厚公が我々に命じている。
「存在しないもの」とこの世のあわいから人間の芸術は生じると言われている。